このたびは当ブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。
運営者情報とブログについてご紹介させていただきます。
管理人:moimoi
住所:福岡県
出身地:福岡県北九州市
年齢:30代
ブログ(puremoimoi)について
1、職場や友人関係などの「対人関係」で悩んでいる
2、精神的な病気に悩んでいる
3、精神的な病気や依存症の家族をサポートしている
4、人の気持ちを理解したい!と考えている
このような方々に読んでいただいた時に、少しでも心が軽くなり、役に立つような記事を目指して書いていこうと思っています。
自己紹介
生まれも育ちも福岡県で、両親と姉の4人で生活していました。
幼少期は友達と遊ばない子供
姉妹共々変わった性格で、絵を描くことが大好きな幼少期を過ごしました。
人前で話す事が苦手で友達と話す事もせず、小学生の内はポツンと一人で浮いているような子だったと思います。(いわゆる根暗なタイプ)
体が弱くいつも入退院を繰り返しており、病院内の学校に通ったり、ベットの上で勉強する事もありました。
勉強しているとはいえ、学校とのズレが生じたり、友達との会話もついていけなくなり、根暗な性格に合わせて「人と壁を作りだした」のもこの時期からです。
小学校高学年で家庭環境が激変
両親が不仲になり始めたのが小学校高学年の頃でした。
母はいわゆる「自由人」で、自己中心的な人でした…。(今は孫が大好きな「良いおばあちゃん」ですが…笑)
夜勤務の仕事をしていた母は、生活リズムを整えるために処方薬を飲み続けて、「睡眠導入剤依存症」になってしまいました。
朝でも、昼でも関係なく多量の処方薬を飲んでしまいます。
自傷行動が見られたり、ボヤ騒ぎ、床が水浸し…など、言い出したらキリが無いくらいの問題行動を起こしました。
更にそんな家庭で育った姉は、精神的に追い詰められ、今でも体と心の不調を強いられる生活を送っています。
父は行動を起こせずに静観。
家庭内の雰囲気は最悪で、誰も口をきかなくなってしまいました。
根暗な私は性格を変えようと努力した
私はというと、「これはいかん」とスイッチが入りました。
家族に笑ってもらおう!と考えて、まずは自分の性格を変えようと思い立ちます。
面白い話をして、少しも笑ってもらえずに落ち込んだりする日々を過ごしていました。(笑
その後に両親は離婚となってしまうのですが、口数が少ない父と姉を笑わせてやろうと必死に行動を続けました。
この頃の経験から「人の気持ちを考えて行動する」という事が、身に付き始めたと考えています。
16歳で家出。一人暮らしをはじめる。
両親の離婚後、父子家庭となった我が家。
父からは頑なに「母に会うな」と言われていましたが、私は「子供が親に会って悪いのか!」と猛反発し、16歳で家を飛び出し一人暮らしをはじめることになったのです。
振り返ってみると後悔しかないのですが、こんな家庭環境に姉を置いてきてしまった…という罪悪感は今でも残っています。寡黙な父と姉の2人暮らしは、姉にとって辛い事もあったと思います。
人より早く社会に出た
根暗な人間が無理して明るく振るまい続け、一人暮らしをしてお金を稼がなければいけない。
仕事は接客業ですし、「人生詰んだ」と思ってしまう状況でした。
でも、頑張り続けた成果は必ず力になります。
人の気持ちを理解しようとする気持ちから、傾聴・発言の方法を猛勉強した結果、仕事での売り上げも上位になり、仕事だけでなく人と話す事がだんだん楽しくなってきたのです。
接客業の魅力にハマり、介護・コールセンターなどに従事
根暗な少女が突然明るい性格に変えようと決意して、生きていくために対人関係や接客業を頑張り続けた結果、とうとう「人を話せる接客業」の魅力にハマってしまいました(笑)
少しのポイントに気を付けるだけで相手から信頼をされ、話を聞いてくれるようになる事が嬉しくて、その後もコミュニケーションが取れる職場を転々としてきました。
特に介護職やコールセンターは、幅広い年代の方とコミュニケーションが取れるので、「どう伝えたら良いのか?」と攻略のように考える事がとても楽しくてしょうがなかったですね。
発達障害と診断されている長男
私の子どもですが、長男はこの記事を書いている時点で小学校5年生です。
長男の育児は本当に大変で、少し他の子と違うのかも…と思いだしたのが年長の頃。
小学校に入学した際は、支援学級の選択を学校から勧められましたが、「うちの子は病気ではない!」と頑なに拒んだ結果、結局我が子に辛い思いをさせてしまった経験があります。
発達障害と診断される子供は多くなってきましたが、今の時代だからこそ「発達障害」と診断でき、本人の生活に対して色々な形でサポートが出来るようになっています。
この辺の経験もご紹介して、同じ悩みを持っている親御さんに少しでも寄り添えたらと考えています。
次男が尋常性白斑になった
次男が小学校3年生の春頃、突然胸元に「白斑」ができ、診断の結果「尋常性白斑」でした。
1年~2年は広がるといわれている白斑ですが、現在は「エキシマ光線治療」を行い、継続して治療を続けています。
今後の白斑の状況なども、同じ悩みを持たれている方の参考になればと思い、闘病記として記録していきたいと思います。
家族の現状
現在の家族の状況ですが、
・子どもが発達障害と診断されている(小学校高学年)
・姉が精神的な病気
・母は今でも依存症状が出ることがある
・叔母がうつ病
・次男が尋常性白斑になる
私の周りの環境はこのような感じとなっています。
心の病や依存症の方を支える家族は、本人と同じくらい大変な思いをします。
どのような声かけがベストなのか、自分の対応が間違っていなかったのか、時には考え込んでしまうこともありますよね。
依存症については、症状が再発する度に「また裏切られた…」や「約束したのに…」という失望や、怒りの感情が湧いてきてしまうので、自分の気持ちをコントロールする事がとても大変です。
それでも、支える人間が折れるわけにはいきませんので、私の場合は折れてしまいそうな時に、「依存症の家族会」などで同じ経験をした方のお話を聞いてみたり、踏ん張るためのコツを教えてもらいました。
そうすると、自分の状況を冷静に判断することが出来るようになり、かなり気持ちが楽になってきたのです。
最後に
このブログを運営している私がどんな人間なのか、少しでも伝わっていれば嬉しく思います。
悩んでしまった時に、同じような内容で悩んでいる(悩んでいた)人の話を聞いたり、経験談を知る事で、ふと気持ちが楽になる事があります。
出来るだけ読んでいただいた方の役に立つ内容を書きたい!と考えていますので、拙い文章ではありますが綴っていきたいと思います♪
これからもどうぞよろしくお願いいたします!